2009年07月14日

臓器移植法案と経営理論

参院でA案が可決された。衆院で多数を持って可決された法案だ。
・脳死を人の死と認める
・臓器提供は家族の意思だけでも可能
・年齢制限はない
とするもので、現行法から大きく変更するものだ。

現行法は3年後の見直しが謳われていながら10年放置された。
それは政治の不作為以外のなにものでもない。

衆院では基本のA案に対し、ほぼ現行法通りとするものまで含めて4つの案が提出された。
そして、最初にかけられたA案が賛成263、反対167でいきなり可決となった。

 ただ参院では、「脳死は人の死」に対する拒絶感への緩和案として「臓器移植時に限る」と現行法通りにした修正A案が提案され、基本先送りのE案(子どもの臓器移植について1年かけて検討する子ども脳死臨調設置法案)と合わせて3案が、議論された。

A案以外が可決されれば、衆院での再議決が必要で、政治日程上ほぼ廃案と同じことにもなる。
共産党は修正A案への賛成を決め、他党は個々人に判断を委ねた。

さて、ようやく本論。採決の順番の話だ。

今回は、修正A案、A案、E案、の順番で採決が行われた。

結果で言えば、
・修正A案  →賛成 72で否決
・A案        →賛成138 反対・棄権82で可決
だった。

採決の順番次第で、この結果は変わっただろうか?

修正A案賛成の72名の内、18名はA案賛成に回らず棄権か反対。残り55名はA案賛成へと回った。
修正A案には賛成せず、A案のみに賛成したものが83名。合計138名による大差の可決だった。

採決順を逆にしたら、どうなっただろう。
A案でないとダメ、が83名しかいないとすると、可決に至らない。
次に修正A案に賛成するものが少なくとも72名。そこにどれだけこの83名から流れてくるかだ。

それが83名の半分弱、38名いれば可決となる。
廃案よりはまし、という現実的判断は十分あり得ただろう。

つまり、A案可決に至ったのは、この採決順による部分が大きい、ということだ。
経営学で言う、ゲーム理論的な分析がもっとなされるべきだろう。

更に言えば、このA案類似の、修正A案があったがために、E案対A案という決定的対立の中での二択でなく、修正A案賛成を経てのA案賛成という「段階的受容」のプロセスがとれたのかもしれない。

これは近年注目されるマーケティングでのアンカリング効果に似ている。
比較しやすい対象物により、あるモノの価値が(不合理であろうと)定まる、というものだ。

採択順、修正案のあり方について、初めてその重要性を考えさせられた。

いずれにせよ、これで国内での臓器移植がよりスムーズに行くことを願う。
脳死状態の子どもを抱えた親御さんには戸惑いもあるだろう。しかし、臓器提供者が増えることによって、逆に変なプレッシャーは掛からなくなるものとも思う。

脳死を死と認めたい人も、認めたくない人も、共存できるようになる。

これまでの関係者のご苦労に感謝の意を表したい。