2011年5月29日

新潟県立加茂高校で授業とPTA講演

7時過ぎの電車に乗って、東京駅へ。
上越新幹線で終点新潟の一つ手前が燕三条だ。

そこから車で20分ほどのところに新潟県立加茂高校がある。
天体観測ドームが輝く高校だ。地元加茂市やお隣の三条市から数百名が通う。

3年生向けに授業を45分、そしてPTA総会前の講演を90分やらせて頂いた。
校長の林先生らが、昨夏、福井で行われたPTA北信越大会に来られていたのが縁である。

PTA向け講演では、そのときにお話しした「高校における、生徒同士の学び合いの場」について、と、『ヒマと貧乏とお手伝い』について、を題材とした。

途中、新しい試みでばたついたところもあったし、最後のQ&Aももっと盛り上げたかったけれど、まあ、これで良しとしましょう。
あとで回収したアンケートには、多くのコメントを寄せて頂いたので。

終了後、少し待って林先生やPTA前会長さんとお話をし、また燕三条から帰宅した。
door to doorで4時間ほど。

それなりに疲れたかな。でも車中、アンケートコメント見て、ちょっと元気になった(笑)


参加者の主なコメント

・自分で決める力をどうつけるのか、明日から今日の講演を生かしてみたいと思いました(小1の担任教員の立場として&保護者として)

・私自身子どもの頃にお手伝いをよくやらされ嫌いでしたが、親になってからはその大切さに気がつき、子どもには少しやらせました。やはりやらせて良かったと思いました。

・男の子3人ですが洗濯ものも干させます。もっと上手に使っていこうと思いました。

・ジジババ対策が大変ですが、今日から、できることから実践してみようと思います。

2011年5月28日

特別講義ルークの冒険@佐賀県武雄市6/15.16開催!

さて、行きますよ、武雄市。 
あの温泉と市長さんで有名な、佐賀県武雄市! 

Z会の寺西さんの紹介〔宣伝〕で、市役所から申し込みが来たのが3月。 
そして震災のバタバタで途絶えていたが、先週、6/15.16開催と決まった。 

・6/15 12:00~ 若木小学校     56年 
・6/16 09:35~ 東川登小学校   56年 
       11:35~ 西川登小学校  456年 

見学希望の方は、各校にお問い合わせを。


地図で調べると、なぜか3校とも市街地から離れた田舎の学校である(笑) 
田舎の学校、大好き。 

無理を言って60分授業を確保していただいた。 
60分で何ができるか、もう一回、考え直して構成してみた。 

あとはその場の対応力勝負だ。 


あ、でもまだ準備出来ることがひとつ。
武雄出身のヒト、小学生相手に使って面白そうな武雄ネタあったら教えて~

2011年5月26日

特別講義ルークの冒険@KTC高等学校 名古屋校!

KTC高等学校は通信制高校のサポート校である。
スクーリングにはいろんなパタンがあるが、昨日は

・週5日 午前コースで「決める力」
・週5日 午後コースで「発想力」

の講義を90分ずつ行った。
『特別講義ルークの冒険』の一環である。

文字通り、個性的な面々を相手にするので、ドキドキだったが結構、普通にできた、かな。

決める力のサバイバル演習は、いつもと少し変えた。

・前に出てのグループ解答書き、はやらない
・2回目のとき、役割分担やルール決めは、指示して全チームでやってから議論スタート
・議論が進まないところは、直接ファシリテート

これで2回目のサバイバルは、ほぼ全チームで議論ができたように思う。
いつも話していない生徒が、積極的に発言していたり、もあったみたいでGood。

感想では
「また今回のような講演をしてもらいたいですが、他の人にも是非この講義を聞いてもらいたいと思います」
というものも。はい、頑張ります。


発想力はほぼ、いつも通り。

「少し頭が硬くなっていた。少しひねくれてみようと思う」
「日常でできることばかりなのでヒマなときやります!(*^_^*)」
もっと自分で発見してみたいと思った」


面白さこそが、意欲へと繋がる!

2011年5月25日

執筆日記P6:いよいよデザイン!

今日は新宿御苑前まで電車で。

デザイン会社さんと打ち合わせ。
今回の本をお願いするのは、「もしドラ」も手がけたデジカルの萩原弦一郎さん。

これまでにさまざまな本のデザインを手がけられているが、

「まじめとフマジメの間」

をバランスできる方なのかな、と勝手に思っている。
楽しみである。


ルークのイラスト等は、『ルークの冒険』でお世話になったムーブの新田さんにお願いすることになるだろう。これまた楽しみ。

いずれにせよ、あと1ヶ月で全部終わらせねばならない。
夏休み前に出版、が目標である。


そして実は次の本の原稿も書き始めないと・・・(爆)
できるのか!?


ちなみに新宿御苑前に電車で行くと、行って戻ってで面倒だったので、二子玉川→渋谷で副都心線乗り換え→新宿三丁目、で歩いた。
新宿高校の前を通って、御苑の一部を歩いて、数分であった。

梅雨入り前の、爽やかな1日。

明日は名古屋のKTC高校で授業だ!

2011年5月23日

15家族以上が必要だった。現人類の東進物語

アフリカに発祥した人類は3~4度に渡って「出アフリカ」を果たした。

昔の言い方で言うところの原人として、旧人として、そして新人として。
新人=ホモサピエンスの元は、東アフリカにいたわずか数千人。
そのうちたった数百人が、紅海をアラビア半島に渡った。

陸ではなく、おそらくは海を渡ったと、推定されている。
それが6万年前のこと。

それが北上してヨーロッパに拡がり、東へ海沿いを伝ってアジアへ拡がった。

問題はその先だ。

それでは北アメリカにも、オーストラリアにも到達できない。
北アメリカとの間にはベーリング海が、オーストラリアにはアラフラ海があるからだ。

それを後押ししたのは、氷河期だった。
氷河期には陸氷が増えて海水面が下がる。5万年前の大氷河期にオーストラリアとニューギニア島も繋がった、1万年前にはベーリング海は陸橋となってシベリアと北アメリカが繋がった。

でも、そこを渡るのは、まったくもって簡単ではない。
2000キロのベーリング陸橋を超えてもそこには北アメリカを厚く覆う大氷床がその行く手を阻んだ。
ニューギニア島は繋がっても、そこまではまだ海が数百キロ存在していた。


でも、渡ったヒトたちがいた。
わずかな氷の回廊をとおり、そして船を作って。

その数は、いちどきに15家族以上。
9家族以下では遺伝的多様性が小さすぎ、すぐ消滅の憂き目に遭う。
安定できるのは15家族以上。

ということは、親戚関係でもなくそれだけの集団がまとまって行動していたということ。
異常に厳しい環境下を、東へと進むべく。

ゆえに、高度なコミュニケーション能力を持っていたのであろう、とも推測されている。

決して導くもののない、未知への旅を、いったいいくつの集団がチャレンジし、敗れ去ったのだろう。
そのときリーダーは、血縁以外のなにを糧に、東進を推進し続けたのだろうか。


われら現人類のほとんどは、紅海を越えて出アフリカを果たしたたった数百人の末裔であり、アメリカ大陸やオーストラリアの民(ネイティブアメリカン、アボリジニ)たちは、さらに少数の末裔であった。

未知へと挑む、その気概と力を、失ってはならない。
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