月: 2012年1月

2012年01月29日

ダイニング床上の異界

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ヒトです。日本人です。

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寝てません。起きてます。

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風邪ひいてません。風邪予防です。

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勉強中です。受験生です。


がんばれ、次女!
あと、1ヶ月~

2012年01月27日

芦花小6年「科学教室 ルークの冒険 カタチの不思議」やりました~

世田谷区立芦花小学校で、45分授業を3連発、やってきました。
昨年『ルークの冒険』発刊時に始めた6年生向け特別授業。

今年も6年生のみなさんと、理科室でワイワイガヤガヤやりました。
その様子は同校のHPにアップされています。高橋副校長先生、素早い!

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1/27 科学教室1(6年生)


最初のクラスではグラス問題を掘り下げました。自分考え、班で話し合い、発表する、のくり返し。みな、活発に意見が出て盛り上がりました。
が、紙コップ問題の時間が足りなくなってしまいました(-_-)
でも終了後、続きが気になった女子2人が「教えてください!」って突撃してきました。Good!

次のクラスではグラス問題を少なめにして、紙コップ問題をしっかり取り組みました。

最後のクラスではなんと「ミューラーリヤ」に全員が引っかかりました。
マジメなクラス、の弱点が出ましたかね(笑)

みんな、水をコボしちゃったりもしながら、でも、「座って悩まず動いて考える!」を何度もトライ。アンケートが楽しみです。

興味があるヒトは校長室・図書室に『ルークの冒険』があるから、読んでみて!と呼びかけておきましたが、最初のクラスの子たちが早速、借りに来たとか。Very good!


芦花小学校ではこの「科学教室」を、来年度はもう少し、増やしてみたいです。これは渡部校長先生と相談です。
カタチの不思議、コトバの不思議、そして、伝える、ほめる、決める力。ああ、欲張り過ぎですねぇ。

わが家からは環状八号線を北上15分。とっても近いのです。
あ、でも今回は帰りに40分掛かりました。
瀬田交差点付近で、違反切符を切られたので・・・。5年ぶりかなぁ。
車線変更禁止違反。1点。6000円。

あそこは黄色線だったのかぁ。なんで目に入らなかったんだろ(T-T)
これでGold免許への道がまた遠くなりました。

ついでに帰宅直前には右転回に失敗して、タチゴケまで。
もーーーー。


夜にはラーニングテクノロジーラボの勉強会へ。
実践をされているヒトたちの集まり。いつもながら刺激になります。

なんとも盛りだくさんの1日でした。

2012年01月21日

東京事変、放送終了間近。『color bars』

東京事変のファンである。

もちろん椎名林檎さんの歌もスタイルも素晴らしいが、ベースとプロデューサーの亀田誠治さんには著作の帯コメントをお願いしたこともある。

先日初めてライブを見に行った。
東京国際会議場のそれ『Tour 2011 Discovery』は、素晴らしいパフォーマンスだった。
浮雲の『某都民』、感動したなあ。

それがなんと解散すると言うではないか!?
1/11のニュースだった。
同日、最後の新曲アルバムであろう『color bars』を即、予約したのはもちろんである。


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color barといえば、テレビ番組の終了、テレビ放送の終わりを示すもの。そういえばライブでも使われていたなあ・・・。あれが予告だったか。


アルバムがAmazonから届き、ここ数日ずっと聞き込んでいる。
曲調が、バラバラだなあ。なんで5曲なのかなあ、と思っていたら、5人のメンバーが各々作ったというではないか。

1.今夜はから騒ぎ/作詞・作曲:椎名林檎
2.怪ホラーダスト/作詞・作曲:伊澤一葉
3.タイムカプセル/作詞・作曲:亀田誠治
4.sa_i_ta/作詞・作曲:浮雲
5.ほんとのところ/作詞・作曲:刄田綴色

だそうだ。

1はそうかと思っていたが、3はまったく外れた。
はっきり言って名曲である。でもベースゼロのバラードだよ、亀田師匠。まさかと思った。


「もうすこし もうすこし あともうすこし 生きぬく心がほしい

ふるわせる ふるわせる この声に 明日を映してみるよ

手探りでも 孤独きりでも 空を鳴らして今は 走り続けよう」


椎名林檎さんに「あともうすこし 生きぬく心がほしい」と歌われると、どきりとする。
そこまで走って、でももう一つ先へ進もうとする者の「孤独」を、感じる。ふ~。

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最後の「ほんとのところ」は、ナンの曲か、なぜ最後なのか、すべてがナゾな曲である。

出だしはいきなり
「たぬきが死んだら」

参りました。


もともと椎名林檎さんが「一人では辛すぎる」と感じで始まった東京事変。
その集大成であり、一人一人の旅立ちのアルバムなのだろう。

color barは、終わりの印であり、始まりの場所でもある。

『color bars』、必聴の一枚。
亀田誠治さんのブログはこちら

2012年01月20日

心の余裕(ヒマ)をマンガから学ぶ ~寄生獣、よつばと!、ぼのぼの

最近、SFや「マンガを題材に何本かの記事を書きました。
特に『風の谷のナウシカ』を中心にしたDOL記事は、史上最大級のアクセスとなりました。『デビルマン』も絶好調(笑)

ただ、友人からこう言われました。
「マンガとかSFとか、題材は違うけど、そこからの学びは『ヒトは何か』とかばかりで結構堅いねぇ」
確かにその通り。ということで今回はリベンジも兼ねて、柔らかい題材(マンガ)からの柔らかい発想の学び、をいくつか紹介します。
テーマは、心のヒマ、です。


#心にヒマのある生物、人間

マンガ『寄生獣』は岩明均さんによる傑作です。

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主人公 新一とそれと一体化した寄生獣ミギー(右手を代替しているからミギー)。物語は、人類とそれに寄生し捕食する生物 寄生獣の間の戦いと共生をつづったものです。彼らは元来、極めて合理的で、いわゆる社会性や人間的感情も持ってはいません。
でも何体かの寄生獣たちは「人間」に興味を持ちました。ミギーもそのひとつでした。

様々な戦いが終わり、最後のシーン(第10巻)でミギーが静かに問いかけます。
「ある日 道で・・・」
「道で出会って 知り合いになった生き物が」
「ふと見ると 死んでいた」
「そんな時 なんで悲しくなるんだろう」

「そりゃ人間がそれだけ ヒマな動物だからさ」
「だがな それこそが 人間の最大の取り柄なんだ」
「心に余裕(ヒマ)のある生物」
「なんと すばらしい!!」

新石器時代以降、人間の生活時間配分は劇的に変わりました。特に近代においては一般大衆にまで広く「ヒマな時間」が行き渡りました
食べることに追われなくて済む生活、命の危険を感じ続けなくて良い生活を、あらゆる地球上生物の中で初めて、大量に手に入れた のです。
それこそが人間の特異性を支えています。この限りない(身を滅ぼすほどの)探究心、好奇心、そして慈悲の心。人が人であることの意味を最大限、活かすためには、心に余裕(ヒマ)を持つことが、必須なのです。
個々人が、どうもっと時間的余裕を作るかは『特別講 コンサルタントの整理術』をお読みいただくものとして、ここではマンガによる「精神的余裕の作り方」を、述べましょう。

あなたはどうやって、自分の精神的余裕度の有無をチェックしていますか? そしてどうやって、精神的余裕を作っていますか。


#『よつばと!』。小さな純粋さが心の殻を破る

まずは、心の硬さチェックです。純粋で面白いものを見て笑えないようでは、相当重症、余裕度ゼロです。
純粋といえば「子ども」か「動物」。ということで、心の余裕チェックの素材としては佐々木倫子(のりこ)さんや、あずまきよひこさんのものが最適でしょう。
あずまきよひこ氏の『よつばと!』は全くの日常がテーマです。大した事件も起きず『サザエさん』級の平和さです。日本の政治や世界の経済がこんな危機的状態の時に、こんなに平和な本を読んでて良いのか、と思うくらい。
主人公は最近田舎(海外のどこか)から、町に越してきた、よつば、です。推定5才 。

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「お父さん」曰く「外国に行ったとき拾ってきて、なぜか育てることになった」女の子です。このとてつもなく無邪気で純粋な子どもが、隣家の3姉妹を巻き込んで引き起こす、小さな出来事たちがユーモアたっぷりに綴られていきます。
打上花火を生まれて初めて見たよつばは、叫びます。
「おっきーなー」「はなや意味ねーなー」
隣で焦る、花屋のあんちゃん(笑)

よつば に複雑さは通用しません。楽しいものは楽しいし、コワいものはコワい。特に鳥除けの大きな目玉の風船は大嫌い。でもにわか雨は大好き。雷が鳴れば長靴を履いて傘なしで外に飛び出します。
彼女は「無敵だ」(お父さん 談)なのです。


#よつばは、何を言いたいのでしょう

コミック最新巻である11巻からの問題です。
ある日、よつばは友だちの家に行く途中、遠回りして手打ちのうどん屋さんを見つけます。外から手打ちの様子をじっと見つめるよつば。いつの間にか店内に入り込んで、厨房の店主(おじいさん)の横に出現です。
邪魔しなければ見ていていいよ、と言われよつばは店主の脇で興味津々。そして2人の会話(?)が始まります。よつばの問いに、店主は淡々と答えるのですが、さて各々、よつばは、本当は何が言いたかったのでしょうか?

1. 店主が生地を麺棒に巻き付けて、伸ばそうとしている
よつば「それはなに?」店主「・・・これはうどん」よつば「違うよ?」店主「・・・違わん」

2. よつばが見つめる中、モクモクと生地を伸ばす店主
よつば「なんでうどんにしたの?」店主「なんで?なんでって・・・」「・・・・・・」「うどんが好きだから・・・?」よつば「ふんふん」

3. なお生地を伸ばす店主
よつば「じいちゃんはうどんとおそばとどっちがすき-?」店主「・・・うどんかな・・・」よつば「ふんふん」「よつば、ラーメンすき」店主「そうか・・・」

さて、どうでしょうか? うどん職人に「それはうどんじゃない!」と言うよつば。本気です。そんな、棒に巻き付けられた薄い座布団みたいなうどんなんて、見たことないものねえ。
うどん職人に、なぜうどんを選んだのかと突っ込むよつば。これは無邪気な、しかし鋭い質問です。答えに窮する店主。で答えが「うどんが好きだから」という単純さは素晴らしい。もうすっかりよつばのペースにはまってます
そしてそう言っているのになおうどん職人に「うどんとそばとどっちが好きか」と問うよつば。これは単に「自分はラーメンが好き」と言いたいだけの質問でした(笑)

そうそう子どもって自分が言いたいことがあると、それを言いたいがための問いかけをします。うちの長女の幼少期の必殺技がそうでした。
長女歌う「どの花見ても、えのぐみれ~」母、続きを待つ。しばしの沈黙。
長女「ねえねえ、『続きは?』って聞いてぇ」母「・・・続きは?」
長女「もう無いの-」
少ないボキャブラリーを最大限に活かして「会話」するための技を彼女は開発したのでした。これを、面倒・・・、と思いますか? 面白い、と思いますか?

子どもたちの無邪気な行動や言葉で、自分の精神的余裕度の有無をチェックしましょう。もし余裕を失っていたら、次はそれを作るための方法です。


#4コマで時間がゆっくりになる『ぼのぼの』

空白にこそ余韻や空想があります。いがらしみきおさんの『ぼのぼの』はそういう空白にあふれています。でも紙面をいっぱいに使っての空白ではありません。基本はすべて、4(もしくは8)コママンガなのですから。

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主人公はラッコの子ども、ぼのぼの。アライグマくん、シマリスくんといった動物たちが森の中で色々なことに遭遇し、探究し、少しずつ(たぶん)成長していく物語です。
周りを取り巻く大人(の動物)たちは、妙に哲学的だったりします。スナドリネコ、ヒグマの大将、カシラ(ひぐま)、長老さま(シャチ)、みなそれぞれの哲学をもっています。

長老さまが、ぼのぼのに言います 。
「それはの このトシまで生きると よ~くわかる んじゃが・・・」
「生き物が 悩まなきゃ いけないこと など」
「この世にゃ ないような 気がするん じゃよ」
「ほっほっほ~ 今のは ないしょじゃぞ」
「言うと みんな おこるから の・・・」

しかし、もっとも味わうべきはこのマンガに満ちる「間(ま)」です。4コマを、ただの起承転結に使わず、その狭い狭い画面を一杯に使っています。
文章で表現することは甚だ難しいのですが・・・たとえばある4コマはこんな風です 。

1.右下に岩場。ぼのぼのがすっくと立っている。残りは全て海。ぼのぼのは、潜水中のおとうさんを探している。
2.同じ構図。画面左上に「↓」と「この辺に出てくると思っている」のコメント
3.同じ構図。「↓」のみ。コメント無し
4.同じ構図。「↓」から少しずれたところに、おとうさん(1㎜角)が現れる。ぼのぼののところには「あぁっ おしいっ」の太字コメント。

bonobono2.jpg(こんな感じです・・・)


ほんの少しの動きとセリフ・コメントで一コマ一コマが進んでいきます。よーく見ないと見落としそうな感じで。

これは、ゆっくりとした想いや時間の流れを表現するのに良い方法です。いや、と言うよりは、読者の「時間」を遅くするための手法、ではないでしょうか。焦って読み進んでも、この面白さは味わえません。
なんの蘊蓄も哲学もないこのコマ進みに、楽しさを感じうるかどうか。それが余裕(ヒマ)修行の2段階目なのです。
修行なので後は、繰り返し、進んでいくだけ。繰り返さなければ身に付いた「技」になりません。時間の余裕と心の余裕(ヒマ)をもって、ヒトとしての進化を遂げましょう!
あ、いやいや、今回は「ヒトの進化」なんて言いません。柔らかいマンガで、柔らかい心を養いましょう。それだけで、十分です。

2012年01月18日

長女の長女たる所以(ゆえん)

長女はハタチ。
 ゚∀゚ )(さいたまと入力するとこう変換される・・・)でひとり暮らしをしている。

で、一昨日の深夜のメール。

「またかぎわすれた?」

本人はしっかりしているつもりだが、相当忘れ物・落とし物が多く、家のカギに始まって財布丸ごととか通帳とか、何回も落としまくっている。(ちなみに今回は「ぽっけにあった(笑)」だとさ)

性格で言うとどうなのだろう。昔は1人でいることも多かったが、最近は仲間と遊ぶことも増えた。
部活でもいじられ役だが、それにも慣れてきたらしい(笑)

本人はそれを「血液型がB型だとわかってから、性格がB型になった」と言っている。
何を分けわからんことを(爆)

まあ、それはともかく、お姉ちゃん歴18年の彼女は、最近結構頑張っている。

で、今朝のメール。
「次女がやる気を失っております」

大学受験を控えた次女は、淡々として入るがそれなりに起伏がある。
2ヶ月に一回くらいは「やる気出ない」状態に陥る。
塾などに一切行かず、自宅でモクモクやっているだけにそうなると回復が難しい。

そこでお姉ちゃんの登場である。
そういう訴えは、大抵すぐ彼女に入るので、それを親たちにも伝え、本人も対策を練る。
センター試験明けでまた「やる気出ない」次女と、明日も遊びに行くらしい。

と思ったら場所は地元の二子玉川だそうな。
「移動時間がもったいない」という次女の要望で・・・
お金はお父さんが出してあげるから、盛り上げ業務頑張って、と長女にメールする。


で、さっきまたメールが。
「ぺけぽん」
なんだこりゃ・・・三女に関するものである。

三女は将来の夢がイロイロ変わる。
それはいいのだけれど、中2でそろそろ「進路」や「目標」を決めなくてはいけない。
それを親は一切与えないので、本人次第である。

とはいえ、彼女に直接聞くと「校舎がキレイなこと」「制服が可愛いこと」がダイジだと言う。
「3年間通うモチベーションってダイジでしょ!」と。
その通りだけどね、それだけで決められちゃあ、困ります。

ということで長女に指令を飛ばし、三女への進路相談役に任命する。それが半年前。

当初は長女の進路的問いかけを華麗にスルーしまくる三女。
どうなるものかと思っていたが、最近、三女もようやく考え初めて、志望校を調べたり、考えたりし始めたらしい。都立は4つくらいに絞ったとか。

といった進捗報告が、ときどき長女から来る。
「ぺけぽん」も、そのひとつだった。

マックのバイトがまだまだうまくこなせず、久しぶりに「できない子」として劣等感を感じたりもしているらしい。
ック恐るべし(笑)でもいい経験だね。

キミの最大の強みは、キミをお姉ちゃんと仰ぐ、妹たちがいることさ

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長女の醍醐味でも、ある。ガンバんな。
期待してるよ。

上最高のアクセス数を集めた三女ネタブログはこちら
た、彼女らとの子育て奮戦記『お手伝い至上主義でいこう!』(プレジデント社)もお楽しみください

2012年01月14日

紀伊國屋玉川高島屋店での小さな出来事

2枚の写真があります。

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上は水曜日のもの。下は今日のもの。

さて、何が違うでしょうか?


→確かに違いますが、そうではありません。

・周りの本の配置
→確かに違いますが、そうではありません。

・両隣の本が、平積みから縦置きになった
→鋭い。平積み戦争に勝ったとは言えるでしょう。でも、もっと面白いことです。


ヒントです。

ポップをよく、見てください。


わかりましたか?


上では、POP立ての金具が、POPの文字に掛かっています。
でも、下では掛かっていません。見やすくなっています。
それにはこんな、小さな物語が・・・。

今日、次女・三女と紀伊國屋に見に行ったときのこと。

11日は次女と「直前センター問題集」を買いに来たついでに見ていました。なので、次女は私に「また減ったねえ~」と言ってきました。
私はそれに、「多分ね。だけど前回は2冊で、今は3冊でしょ。補充された後に減ったってコトだよね。それは何冊かなあ」などと返します。
次女がその問いに答える間に、三女が何も言わずにPOPに手を伸ばします。

何をするんだろうと思ってみていると、POPを金具から外して、すぐまた差し込んだのです。
今度は、文字に、金具がかからないように。
終わっても、彼女は何も言いません。別に自慢したいわけでも、ほめてもらいたいわけでもないらしい。

見にくかったから、見やすくしたの。当然でしょ。

そんな声が聞こえた気もしました。

ありがとう。

お父さんも実は、金具が文字に掛かっていたのはわかっていた。
ちょっと読みにくいなって、思ってた。でも、そのままにしていたんだ。
それを直してくれて、ありがとう。


夕食は3人でSCのカレーうどん屋さん。美味しかったね。

2012年01月14日

私立中高進学通信「子どもを伸ばすチカラ」2012年2月号

栄光ゼミナールの出す、私立中高進学通信という雑誌に取材いただいた。

私はまったくもってお受験派ではないのだが、それでも良い、と言っていただいたので(笑)

利き手は教育系のジャーナリスト、作家として有名な中曽根陽子さん。
取材は二子玉川のカタリストBAで楽しく。

掲載は、なんと5頁にわたる大きな記事で驚いた。

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テーマはもちろん、ヒマと貧乏とお手伝い!

2012年01月13日

美智子皇后のお歌によせて

いつも特に関心は無いのだが、たまたま1/12に行われた「歌会始」のニュースを見た。

天皇陛下
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと  見下ろす海は青く静まる

美智子皇后
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく  岸とふ文字を歳時記に見ず

と詠まれたという。

天皇のものは、ああ実直な方なのだな、と思った。
天皇の歌に評価など誰もしない。だから思ったそのままを詠めば良い。
ストレートで、でも海の怖さと深さを感じさせるものだった。

美智子皇后の歌は、初めはよくわからなかった。
すぐには上の句と下の句が、つながらない。

上の句:ずっと立って待ち続けている
下の句:「岸」は歳時記にない

「岸」がお題であることは知っていたが、それが歳時記にないからどうだと言うのだろう。でもそのときひらめいた。
上の句で「季」を「とき」と読ませているのはなぜだ?そうだ、季語だ!
歳時記にないとは季語ではないということであり、つまりは「どの季節であろうがいつでも」という意味なのだと。

津波に家族を流されたものは、岸に立ってその帰りを待ち続ける。
季節も年も関係なく、いつまでも。

きっとそういう意味なのだろうと直感した。
まさに美智子皇后の知性と感性と慈愛の結晶である。


実は結構、美智子皇后は好きである。
昔、『橋をかける』を読んだからだ。

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国際児童図書評議会(IBBY)の名誉総裁である彼女は、1998年夏、ニューデリー大会の基調講演をビデオで行った。
大会のテーマは「子どもの本を通しての平和」
彼女はそれに対して「子ども時代の読書の思い出」と題して、幼少時からのそして母となってからの読書経験を語った。

そして最後子ども時代の読書の価値について、述べている。少し長いが、抜粋しよう。

「今振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう」

「何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました」

「それはある時には私に根っこを与え、ある時にはをくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました

「読害は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした」

「悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって延びようとする心が養われることが大切だと思います」

「そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても

美智子皇后は語ります。この世界がいかに複雑で悲しみに満ちていて、苦しいものであるか。
そして読書こそが、それを理解し、それに耐えるための喜びを与え、違いを乗り越えて平和へとつながる「橋」をかけてくれるのだと。

書題の『橋をかける』はきっとここから来ているのでしょう。
この基調公演ビデオは、NHKによって収録され、放映されました。多分私はそれを見たのだと思います。
衝撃でした。
彼女がこの世界の困難さを、正面から受け止めていることに。
そして、本という私の最も好きなものにこそ、それを乗り越える力があるのだということに。

それからずっと隠れファン。

美智子さま、ご健康に、気をつけて。

2012年01月12日

マンガ考 ~『デビルマン』の歌は歌えないけれど・・・

このブログは、今週のダイヤモンドオンラインで好評だった
特別講  ヒトの「幸せ」をマンガから学ぶ  年末年始の読書のススメ!2 ~ナウシカが真に戦った相手とは』
の続編です。

私が高校を卒業し福井から東京に出て、すぐ感じた違和感が2つありました。
昼間でも中高生が街中をウロウロしていることと、夜の雲が明るいことでした。

福井ならそんな子どもは即、補導されます。
そして福井(というか永平寺)の夜の雲は暗闇です。星の見えないところが、雲。

東京ですぐにはわからず、浪人時代を経て大学生になって感じた違和感がありました。
それが『デビルマン』でした。

カラオケに行くと、みんなが『デビルマン』のアニメ主題歌を歌えます。
福井では放送してなかったので私は歌えません。

まあ、そんなことは多いのでたいして気にはなりません。気になったのは、みんながデビルマンを「楽しい思い出」として語ることでした。
デビルマンが「格好いいヒーロー」として、位置づけられていることでした。なんだかビームも出すらしいじゃないですか。見たことないけど。

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私にとってデビルマンとは、コワイ思い出いっぱいの恐怖マンガであり、黙示録的作品でした。

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登場する勢力は4つです。
・サタン+デーモン
・デビルマン(人類とデーモンの合体種族)
・人類
・神

マンガのほとんどは、デビルマン(不動 明)とデーモンとの戦いですが、その後、一気に黙示録的世界が浮かび上がってきます。

昔、神がデーモンたちを滅ぼそうとしたとき、サタンは堕天使となって神と戦いました。
そして今、サタン+デーモンが人類を滅ぼそうとするとき、デビルマンたちは戦いました。人類を、守るために。
しかし、人類はあえなく滅んだのです。

人類は、デーモンによってでも、ましてやデビルマンによってでもなく、恐怖に耐えかねて互いに殺し合い、自滅してしまったのです。
人類の敵は、人類でした。

デーモンたちは残忍で暴力的でしたが、ヒトに対して最も残虐であったのは、ヒト自身だったのです。不動 明は絶望します。
そして訪れる、ヒト無き世での最終戦争。


このマンガ版『デビルマン』は、是非読むべきだ!と簡単にオススメはできません。
アニメは設定や世界観だけを共有し、違うシナリオライターによって描かれた、勧善懲悪の物語であったと聞きます。
しかしマンガは、『少年ジャンプ』での連載を読んでいた私(小学生)に、ある種のトラウマを残すほどの衝撃的ストーリーであり描写のものでした。

永井豪さんが、読者に突きつけたものは、それほど重いものなのです。


さて、まだ読んでいないあなた。どうしますか?

中古なら全5巻が1500円で読めますよ・・・

2012年01月08日

「挨拶ができない若者」考

なんだか、新書の本の題名みたいである。
今頃の若者ってヤツは、みたいでやな感じである。

でも最近、こんな話に3つも出会った。

その1
プレミアムウォーターの萩尾陽平さんから。彼は若き起業家。
・留学資金を稼ぐためにアルバイトとして販促営業に従事
・3ヵ月後に販促支援で起業
・全国に組織を拡大し、従業員数はグループ全体で930名に

この販促での起業で勝機を見いだしたのは「挨拶」だったと。
「人として当たり前のことは当たり前にやる(挨拶、振る舞い、言葉遣い)」

販促支援の業界ではそれができない人たちばっかりだったから、それさえちゃんとやればなんとかなる!と見切って、成功した。

その2
昨日のKIT虎ノ門大学院での「戦略思考演習」最終日、大逆転戦略の発表会での議論中でたこと。
システムエンジニアの人材派遣業界での「標準化」というテーマだったが、でもそれは実際にはなかなか難しい。

そのときクラスの一人が言った。
「SEの派遣を頼むときには『ちゃんと挨拶できる人を』ってだけ頼む」と。
細かなスキルがどうとかでなく、ちゃんとした人、が欲しいのだ。

一緒に働こうと思えなければ、派遣してもらっても意味がない。

その3
須藤元気さんの『WORLD ORDER』を見た!CDも買った。

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改めて思った。「挨拶」は強みになり得る。
それくらい「挨拶」できない若者が増えている、人間関係の第一歩を築けない人が増えているのだ、と。(ここは要検証)


わが家で20年以上続くイベントがある。「お花見パーティ」(と花火パーティ)である。
3月末に2日間、1200~2400でいつ来ていつ帰ってもいいホームパーティだ。
2日間の来場者は老若男女合わせて200名前後(笑)

娘たちにはお手伝いと社交の場だ

長女に聞いたら、こんなことを言っていた。
「小さいときは『挨拶タイム』がすごくイヤだった。名前と学年くらいだけどさ」
「長女だから一番に言えって言われるし」

「でも今はまったく平気。いつから平気になったかは覚えてないけど、中学生過ぎてからかな」
「今、知らない大人と話すのが苦手じゃないのは、お花見パーティのお陰かな」


今のところ、「挨拶できる若者を育てる」ためのキーワードは3つ。
・中学生の壁
・携帯電話の壁
・ホームパーティ

これについては、もっと考察と調査を進めたい。