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2014年3月31日

3/29.30 お花見パーティ2014

2日間で160人以上の大人、子ども、赤ちゃんたちが、わが家に集いました。

連続2日、1200~2400の開催で、いつ来ていつ帰っても良く、誰を連れてきてもOK。ただし飲み物食べ物持参で。いうイベントなわけですが、今回は、
・2日連続の参加者が5名?
・1日滞在時間11時間超が2名
という記録も生まれました(笑)

初日3/29は好天に恵まれ、2日目3/30は荒天に見舞われ、でしたが、それでも2日目も途中 晴れて、屋上で夕暮れ風景を楽しむことも出来ました。


初日の玄関は、こんな感じ。

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そして、1階。こっちがリビングで、

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こっちがダイニング。

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2階の和室です。

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3階の子ども部屋。

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屋上も!

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みんな、楽しそうですねえ~。
仕事の話をする者あり、恋愛相談する者あり、真剣に雑談する者あり、ゲームに興ずる者あり。

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8年ぶり、9年ぶりという懐かしい顔もいて、楽しい計24時間でした。

そして、2日間のベストショットは、これ!

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ハンモックでまどろむ母子、です。
(これが正しい使い方)

2日目の深夜、最後に残ったのは、長女や次女、三女の友だち(男子3、女子2)と長女・三女でした。
男子3名はご近所サン。高校生の女子2名はお泊まり組です。

最後の大人のお客さんが帰られたあと、彼らがささっとあと片付けをしてくれました。
各フロアは、お客さん(というよりパーティ参加者)が、これも自発的にほとんど綺麗にしてくれていましたが、それでも多少のゴミ片付けと、モップかけ、食器洗い、ソファーの整頓などなど。

私は誰にも何にも言ってないんですけどね。

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ん? 働いているのは、20~22歳の男子3人だけだぞ(笑)

こんな感じの 三谷家お花見パーティ2014でした。
みなさん、また来年もお会いしましょう!

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2014年3月23日

『ビジネスモデル全史(仮)』本の原稿、ほぼ完成。ここまでの経緯

昨年秋、ダイヤモンドHBRから依頼を受け、「ビジネスモデル全史」という論文を書くことになりました。

実は私は「ビジネスモデル」という言葉がキライでした。
みんな、あまりにテキトーに使うからです。

大学院のクラスで禁止用語にしている「KSF(成功要因)」くらいキライです。
大した意味もないのに「カタカナ」なので、それらしくなってヒトの思考を停止させてしまう、と感じていました。

なのに、『経営戦略全史』を書いて以来、「『○○全史』書けませんか?」というご依頼の多いこと...。
「マーケティング戦略全史」「人事戦略全史」も断ったのに、ましてや「ビジネスモデル全史」なんて!

といっても気が弱いので、メールでNoとお断りも出来ず、DHBR新編集長 岩佐さんとお会いしました。
そして、なぜか引き受けることに orz

しばらく勉強してみたら、「ビジネスモデル」という奴が、それほどダメな奴ではないことがわかってきました。
ゾットやアミットという学者さんたちが、しっかりした研究を行っていること。
ビジネスモデル論の歴史は短いが、ビジネスモデル革新の歴史はずっとずっと長いこと。
クリス・アンダーソンの『ロングテール』『フリー』『MAKERS』のすべてがそうであること。

少し楽しくなってきて、どんどん勉強を続け、しばらくして書き始めました。
まずは、国際的な為替・決済システムの構築に寄与した「メディチ家」のお話からです。

書いていたら、いつの間に依頼を受けていた「7000~9000文字」を越しそうになっていました。
まあ、余った分は、別のときに使えばいいや、と書き続けました。
最終的にできた原稿はなんと1万8000文字。前半は「メディチ家からスクエア革命まで」の、テーマに沿った実例集で、後半がビジネモデル論の歴史です。

一旦そのままDHBR編集部に渡して、判断を仰ぐことにしました。
1. そのまま使う
2. ちょっと削る
3. だいぶ削る
のどれにするか、と。ただ、3の場合には前半後半を半分ずつにするのは難しいので、前半か後半だけにしようと。

結局、岩佐さんの英断で、2でいくことになりました。全体ベージ数の問題もあったでしょうに、ありがとうございました。
後半内の事例を削って、1万5000文字にしました。

その後、校正を続けて素敵なデザインもしてもらい、3/10、DHBR 2014年4月号として世に問われることになりました。
『ビジネスモデル全史』。特集の巻頭論文です。

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実はこの論文の原稿は、昨年12月には大体書き上がっていました。
執筆の途中、DHBR側の都合で〆切りが1ヶ月繰り下がっていたのです。

でも、勉強したものは早くはき出さないとマズイので、一気に書いてしまいました。
ただ12月末に入稿されても編集部としては困ります。目の前に2月号や3月号があるのに、4月号の原稿なんて見てられません。

なので私は原稿を出した後、しばらくヒマになってしまいました。
ところが頭はまだ「ビジネスモデル」で動いていたので、その勢いをディスカヴァーにぶつけることにしました。

「ビジネスモデル全史、って興味ありますか?」

DHBR論文(まだ出ていないが)の書籍化企画は、ディスカヴァー社内ですぐ承認され、本の執筆が動き始めました。
問題は分量でした。
担当者でもあるディスカヴァーの干場さん、原さんとの打ち合わせでは、私が「(頑張って)200頁くらいにはします」と言い、干場さんが「300頁くらいかな~」と言っていました。
私の作戦としては、2万文字弱ある元原稿に、事例を中心に書き足して、8万文字くらいにするつもりでした。それで、200頁強。
干場さんは『経営戦略全史』を手にとりながら、ボリューム感を確かめながらの言葉でした。

結局、書き上げてみたら、また400頁超となりました。
8割方は筆の赴くままに、楽しく書き続けた結果です。
あと2割くらいは「これも書かなきゃマズイでしょ」の結果です。

たぶん後者をもっとマジメにやっていたら、このさらに倍以上になったでしょう。
それくらい「ビジネスモデルの全史を書く」というテーマは無謀に近いチャレンジでした。
でもまあそこはそこ。『経営戦略全史』のときと同じく、自己責任で「これ!」と選んでいきました。

きっと「なんでこれは入ってないの?ありえない」というお叱りを、今回もきっといっぱい受けるでしょう。
でも、「じゃあ、次のときに」とか「ではみなさんが」と思うことにしています。(事実誤認は別にして)
どこかで見切らねば仕方がないし、みんなに100点のアウトプットはないからです。

そして、

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これが今回の原稿(初稿)の全体像です。丸3ヶ月はかかりましたかねえ。
最期の数日で、150枚余りの図版を書きました。簡単なものから、複雑なものまでいろいろですが、3連休の30時間を投入して、なんとか。

序章と第1章は、DHBR論文とほぼ同じです。
でも、第2章から第6章はほぼオリジナル。書き下ろしの「ビジネスモデルの歴史」です。

まだちゃんと数えていませんが、60以上の企業の栄枯盛衰が語られていきます。
知っている企業、知らない企業。
ほんとうはそうだったんだ、という企業。
それらを立ち上げ、変えていったリーダーたち!

出版時期はまだ未定ですが、ディスカヴァーも準備万端(のはず)。
早くみなさんの手に届きますように。

みなさんの感想が聞けるのが、いまからとても、楽しみです。

2014年3月11日

ダイヤモンドHBR 2014年4月号『ビジネスモデル全史』

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『ビジネスモデル全史』というこの論文名には、2つの意味が隠れています。

ひとつ目は「ビジネスモデル」の「ビジネス用語・経営戦略用語」としての歴史です。

このちょっと野暮(やぼ)でものすごく曖昧(あいまい)なビジネス用語は、これまで数奇(すうき)な運命を辿(たど)ってきました。無視されたり、ほめられたり、貶(けな)されたり、そして、尊敬されたり。3期に分けられるそのビジネス用語としての歴史を、まずはざっと見てみましょう。

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1期は、はるか昔から1990年頃までです。
ビジネスモデルというコンセプトや言葉は存在していたものの、大して見向きもされず、ときどき使われるくらいの言葉でした。本当はそれによって多くのイノベーション(革新)が生まれていたというのに。

しかし2期、1991年頃から2000年まででいきなりの絶頂を迎えます。「ネットビジネス の説明」用として。
1990年代中盤、インターネットの急激な普及によってネットビジネスが勃興(ぼっこう)します。1994年にはブラウザーのモザイク が発明・公開され、アマゾン、ヤフーが創業します。98年にはそういった仕組み自体が特許化(Pricelineの逆オークション方式)もされ、あらゆる起業家や投資家、経営者やメディアがその言葉を使い、学者たちも追随しました。
だからこそ2001年のドットコム・バブル崩壊で、「ビジネスモデル」という言葉は陳腐化し、消えて無くなるはずでした。他の経営流行語 のように。

でも、「ビジネスモデル」は見事に復活を遂げました。2つの新しい使い途が分かったからです。
1つは「競争優位の持続性」への解答として、もう1つは「イノベーションの起こし方」への解答として。いずれも21世紀の経営戦略論が抱える最大テーマであり、「ビジネスモデル」は2002年以降、3期として2度目の絶頂を迎えています。

『ビジネスモデル全史』という名前のもうひとつの意味は、(私の定義でいうところの)ビジネスモデル革新(イノベーション)の歴史です。
歴史上、どんな大きなビジネスモデルが存在し、そしてそれはどこでどうやって生まれてきたのかを、概観したいと思っています。

といっても、15000文字のなかで(もともとは9000文字以内のハズだった(笑))それをカバーするのは不可能なので、「為替・決済システム」の歴史を追うことで、それに替えました。

・メディチ家による国際為替決済システムとバチカン公金の取扱い
・トーマス・クックとアメックスのトラベラーズ・チェックによる個人国際為替
・バンカメのVISAカードがつくった社会インフラ
・インターネットと暗号とeBay。ペイパルのマイクロペイメントが見知らぬ者同士をつなげた
・スクエア革命とはリアル決済の変革。売り手を拡大し、買い手の経験を変える

これらは一企業の戦略に留まらない、大きなビジネスモデルの革新(イノベーション)たちなのです。

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日経朝刊2014.03.10

ぜひ、お読みください。

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