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第26号 大型二輪免許をとってみた

大型二輪免許をとった訳

多少のミスはあったものの卒検は無事一回で合格し、翌日には鮫洲運転免許試験場で大型二輪免許を手にした。教習所に通い始めて10日目のことだ。


でもなぜに今頃バイクだったのか。しかも大型二輪。


それはひとえにそのパワー感に尽きる。

現在通常の手段で、国内で入手・運転できるバイクの最高峰はなんだろう。パワーで言えばホンダ CBR 1000RRの逆輸入版などは172馬力を誇る。ヤマハのYZF-R1が180馬力、DUCATIの1098が162馬力、MV AGUSTAのF4-1000Rが174馬力。

これらスーパースポーツ車は、徹底した軽量化も図られている。鉄をアルミに、アルミをマグネシウムにすることで、1000cc車でありながら車重はわずか180kg弱。結果、パワーウエイトレシオは1kg/馬力前後。現役F1マシンに匹敵する数値となる。

つまり、普通車に換算すればベンツのSクラスに1900馬力、軽のアルトに750馬力のエンジンを積んでいるようなモノ。

これこそ公道300km/時オーバーの世界だ。理論上、時速100kmの車に後ろから時速300kmで追突することは、時速100kmの車同士が正面衝突するのと同じ衝撃になる。

もちろんそんな狂気のスピードを出す気合いも技術もないが、そういう圧倒的パワー感にはやはり憧れる。


ただ今回、教習所でインストラクターが口々に言っていたのは「大人の余裕」もしくは「大型二輪の品格」とも言える心構えだった。全くその通り。これは心の問題だ。

実用上は全く不必要なパワーをなぜ持つのか。不必要なばかりでなく、不安定で危険な二輪でなぜそんな悪魔的パワーを両足の間に抱えるのか。


魔法は使わないことに意味がある

その魔力を御すること自体が価値なのだ。「魔力」は「ドラえもんの四次元ポケット」と同じで、使うことにではなく、使わずにいることに意味がある。それに頼らないことこそが難しい。

いざとなったらそれをちゃんと使える技術も習得しよう。でなければただの骨董品コレクターだ。

でも使える自信がありながら、不要なときには絶対に使わずに済ませる。魔力に心奪われず、自らを制御する。

そういったことをきっと、これから求められていくのだろう。


パワーへの憧れで始めた教習所通い。10日の間に色々考えさせられた。

出来ないことにぶつかると、自分が見える。自分の精神(と、お腹)の弱さ、学びの方法、パワーの本質・・・

未知のモノへの挑戦=「チャレンジ」の価値はそういったところにこそあるのかもしれない。

初出:CAREERINQ. 2007/03/01

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