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第12号 失敗に学ぶ(前編)

なぜ「失敗は成功の母」なのか

これまで関わってきた70を超えるプロジェクトの中で、最も思い出深く、かつ、思い出したくない苦しみを抱えたプロジェクトの話、である。

新卒のアナリスト(下っ端)として喜々として仕事を始めた私は、2年目の冬に、大きなチャレンジを与えられる。それはプロジェクトの中での「パート」を一つ自分でやる、というもの。

プロジェクト全体のテーマは大手企業のある事業本部の改革。で、私が与えられたのはその下の一事業部の戦略、だった。

当時のプロジェクトリーダーはただ、「この事業部、見てみてよ。結論は、たぶんXXXじゃないかなあ」と。それだけだった。

その事業部は技術シーズを素にした商品・サービスがひしめく事業部。

数百ある商品はタイプも規模も収益性もバラバラで、どう整理して良いのか、切り込んで良いのか、全く見当もつかない。特に最先端技術を素にしたもの(樹脂とレーザーを使った3D試作品作成機とか)は将来性が読めず、どう議論してよいのかさえ分からない。

期限は3ヶ月。メンバーは私一人。4ヶ月後に結婚を控えた私の、孤独な戦いが始まる。

でも、もちろん結果は明白。まるで進まない。現場から話を聞こうとしても、超多忙な技術商品担当者たちは、忙しい忙しいと逃げ回る。研究開発部門からそのまま事業部に移ってきた彼らからすれば「素人相手に話しなんかする暇ないし、ムダ。やってられん」だ。

そのくせ、いざインタビューが始まって「こいつは理系の話が分かるかわいいやつ」と思ったとたんに突然饒舌(じょうぜつ)となり、自身の夢を,技術のビジョンを熱く語り始める。1時間のインタビューのはずが、社食での夕食をはさんでついには5時間。技術分野ごとにやるとして、これがあと30名・・・・深夜、メモをまとめる気にもなれない。

「夢」を論理的に議論出来るのか

一体、こういった「夢のある」事業たちをどう評価すればいいのだろう。

その時点では市場規模どころか将来性すら定かでない、でも技術的エッジを持ったものたち。考えても考えても考えても、分からない。

遂にそのまま、期限の3ヶ月がたってしまい、中間報告が迫る。でも報告書は影も形もない。

そしてプロジェクトリーダーの運命の一言。「その事業部の報告は最終報告会まで延期する。」


さらに3ヶ月、社会人2年生アナリストの呻吟艱苦(しんぎんかんく)は続く。

結婚式場の打ち合わせに、遂に一度も出席せず、6畳一間のアパートの畳に置かれたノートPC(マッキントッシュ パワーブック)とともに起き、寝ていた。

失敗だからこそ多くの手法を学べる

でも、その6ヶ月にこそ、私のコンサルタントとしての基礎がある。その時、結果として身に付いたのは「アプローチや考え方の幅」だ。

押してダメなら引いてみる。それでもダメなら振り回すか落とすか、いやいやまずはX線を当ててみようか。

その事業の市場規模(や成長性)が分からなければ、その事業は評価できないのか。いやいやそんなことはない。もっと大きなもの(例えば全社戦略)との関連において位置づけることでも判断できるかもしれない。

コトラーやポーターの本に戻り、周りの人に議論をふっかけ、現場の人の話を聞き、枕元にノートを置き、ひたすら問題を設定し解くための「アプローチ」を考え続けた。

最終的にある程度のものが出来、誉めても頂いた。「よくやった。」


あの6ヶ月は99%が闇の中の、先の見えない、本当に苦しいものだったが、ちょっと(?)増長していたアナリストにとっては、おそらく必然のピンチだったのだ。そしてそこで、私は多くの教訓を学び、スキルをつけることになった。

成功したプロジェクトでは、実は自信はついてもスキルの巾や深さは付きにくい。定義により、うまく行っているので、多くのアプローチを試したり、失敗理由を思い悩んだりすることが無いからだ。

結果,たいていの『柔らかいテーマ』が怖くなくなった。

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